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アルミ鋳物メーカー、アスザック(株)アルミ事業部の部長のブログ

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新しい仕事にいどむ

世の中には様々な仕事があります。
弊社はアルミの鋳物を扱う会社。アルミは本当に工業金属としては幅広く用いられているため、仕事自体は沢山残っています。

ただそこは技術力や設備能力の問題で得手不得手がある。

弊社は大きく3本の柱を持っていますが、今後のより一層の景況不透明の中、さらなる柱の擁立が必要です。

今、実は命題を抱えています。

その命題は、克服すれば何億円というビジネスになることは間違いない。
しかしながら技術力が一歩不足していて、設備的にも若干問題がある。

日本にその命題をクリアできる同業者は少なく、かなり優位な立場に立てることも有り、本当に悩んでいます。

技術革新や立ち上げには、莫大な費用がかかります。直接的な出費もさることながら、優秀なスタッフの時間を割くことになる。

複雑な方程式の解を紐解いて初めて経営判断が下せます。

ただ、厳しいことは解っていますが、やるしかないのが現状でしょう。
そう思い、今企画を立てています。

最近よく思うのですが、これは企業が抱える根本的な課題です。
挑戦して前進していくしかない。

誰もがいやがって手をつけないが、需要がある。そこに利益を見いだす。
それこそが中小の活路でしょう。

2009年、さらなる挑戦に望むこと。
苦難の末に青い海を見つける覚悟で望みます。

この緊張感をどのようにプラスに働かせることができるか。
嵐が去るのを待つのではなく、嵐のない場所に向かいたいものですね。

やっぱり最後は人間か

2009年が始まり、私の事業部は量産ラッシュが始まります。
およそ一年前から本格的な営業戦術の見直しに着手し、営業マンには本当に大変な思いをさせてきました。

営業としての動きかたを根本から変える仕組みを練り上げ、ひたすら鞭で叩くという強行軍でした。

当然弊社も今の恐慌による販売減少が顕著ですが、向こう10ヶ月程度の工場稼働は確保できており、さらなる上積みを狙っています。

しつこいようですが日本の産業は大きな転換期を迎えており、今まさに打って出ようとしている弊社としては全く大きなチャンスだと考えています。


この正月休暇は自宅でゆっくりと過ごしました。
そして色々と考えた。

経済活動が人間の為である以上、その成否を決めるのもやはり人間の力によるものなのだ、と当たり前のような結論が浮かびました。

それにしても、いわゆるモチベーションというやつはやっかいです。
人間は与えられた環境を「既得権益」として勘違いしてしまうことが多い。

派遣村に集まり公的宿舎を用意された皆様が酒を飲んで喫煙していたという情報が流れていました。さらに「もっと暖かくしろ」などと要求をつり上げた事でネット上では馬鹿野郎扱いされているようですが、あれこそがその良い例でしょう。

ここで重要なのは「与えられた環境」なのか「勝ち取った環境」なのかという違いです。

人間は現状以上を望むものです。
与えられた環境にいる者は、次も与えられるものだと思っている。
勝ち取った環境にいる者は、次も勝ち取ろうと思っている。

モチベーションの向かう先が全く異なるのです。


これは一般の会社にも言えることです。
私のような世代は、それこそ与えられることの少ない世代でした。
極貧で育ったわけでは有りません。それなりに十分教育機会も与えられてきました。
ただ、それは学生時代のはなし。

社会に出て、レールが有るわけでは無かった。

夢などとかっこいい事は言っていられない。
走るしかない。

今、責任者という役職を頂いた中でも、何もかっこいいことはしていない。

動くしかない、自分が生きていく場所を確保するには。

そして変化を繰り返すしかない。

厳しいようですが、「自分に合った場所」などない。
自分が変わり場所に合わせるか、新しい場所を探して旅立つか。その場で我慢するか。

待つ者に与えられるのは厳しい現実だけなのです。


100年に一度のこの現実に居合わせた事を、どう捕らえるか。
今だからこそ、人間なんだなと。

機械の能力でもなく、パソコンの早さでもない。
自分がどう進むかなのだと。

人間力が試されています。
私自身、自己を含めどのような啓蒙活動ができるのか。

いま、やれることは多いと感じています。

ほうれんそうのタイミング

弊社はいま猛烈な勢いで生まれ変わっています。
製造品目の大転換をし、2〜3年前とは工場の景色が変わってしまいました。

人間はとかく「慣れたこと」に愛着を感じるモノ。
逆を言えば、新しいことに関わりたがらない。


仕事は毎日トラブルの連続です。すんなり行くような仕事は少ない。

私は事業所の責任者ですが、やはり私のところに上がってくるトラブルは大火事になっていることが多い。そしてその原因の殆どは些細なことから始まっている。

ISO認定を受けている工場ですから当然予防・是正の仕組みは整っていますが、すんなりと回らない。

ああでもないこうでもないと要因探しをすると、本当につまらないことから火事が起こっていることが解ります。

そこで感じることなのですが、
本当に人は「黙っている」ことで嵐が過ぎるのを待つ方法を選択する、ということ。

直感的に「自分がしくじった」と思うと、「怒られる」と反応するのでしょう。
人間の習性です。


私もよく人を叱りつけます。
それが仕事の一部です。怒らなくてよいならそれに超した事はないけれど、そんなことはあり得ない。

ただ、だいたい7〜8割の人は「失敗したから怒られた」と感じる。
まあ若くてこういう仕事をしていると、冷徹な鬼のように感じられる事も多い。
これが困ったモノなのです。

私は失敗に対してはあまり気にしないタイプです。私自身様々なことに取り組んで、散々失敗をしてきました。

ただ、失敗自体は会社にとってダメージ。必ず一時的に損がでる。
私は会社のお金を自由に使っていい人間ではない。
だからすぐに謝っていました。まあ工場建設や開発など大がかりなお金を動かしていたこともありますが。

工場の技能者にもミスはつきもの。
製品を落としてしまった。ぶつけてしまった。

ただ、会社の仕事は技能者が計り知れないレベルでつながっていて、そういったミスを報告しない、黙っていることで、重大なクレームや損害につながることがある。
ただ一言、そのときに報告していればすぐに対応が取れたのに。

だから私はいつも「何故決め事を守れなかったのか」「何故報告しなかったのか」と聞く。
失敗を追求しているわけではないのです。

ここが立場の差というか、考え方の差というか。

この壁の壊し方は、現職を3年間続けてきても未だ発見できずにいます。
標準化・カイゼンが効果を発揮するのは解っていますが、とてもそのレベルまでは辿り着けていない。

何事も「すぐやるよし」。

最近この言葉の重みを本当に感じています。

求められる人材とは

派遣従業員解雇が話題になっています。
先日失業者対策に金を使えと書きました。
企業にその体力はなく、義務もないと。


企業は本当に不思議な生命体で、目的は一つだけ。
利益を出すこと、それだけです。

ただ社会経済学の観点からみるとこの命題は言い換えられ、
「継続すること」
となります。

禅問答のようですが、利益を出し続けるから継続できる。
継続する為の手段として利益を出すということになり、継続が利益以上の目的・使命になるというモノです。


「始まりが有るモノは終わる」

これも極日常的な心理で、永遠というのは存在しないらしい。
人の命もそう。

この地球自体、何億年か詳しくは知りませんが、太陽に飲み込まれて消滅するらしい。

継続が目的とは、なんと叙事詩的なことでしょう。

原理に反することを目的とする以上、必ず歪みが出る。
モノは高いところから低いところへ落ちていきます。
急勾配を車で上れば、エンジンは悲鳴を上げます。

そう、継続は原理に反した行為であり、桃源郷のような楽園生活の中にはないことは明確です。

人類及び生命は「子孫を残し進化する」ことでこの「継続」という課題に果敢に挑んできました。
「自己の能力だけでは足りない」部分を、他の能力と混ぜることで環境の変化に対応してきた。
偶然にも優れた能力を発揮した生き物だけが生き残ってきた。

会社は生命体。
現代の企業は全く生命進化と同じような経緯を経ています。
地球が望んだ事と社会というニーズ、という違いがありますが、それに偶然にも適応した会社だけが生き残り、繁栄していく。

いつしか会社はマーケティングという新たな生存確率を高める方法を見いだしました。

しかし、この経済危機でそれは手法として未完成で有ったことが露呈してしまった。

魚を捕るのがうまい人     →狩猟
米を作るのがうまい人     →農耕
家を建てるのが上手な人   →文明創世
剣を振るのがうまい人     →古代文明隆盛
早い車を作るのがうまい人   →産業革命
言われた事だけやっている人 →高度経済成長
金を回すのがうまい人     →金融ビジネス隆盛

時代は移り変わり、望まれる人材も変わってきています。
社会が望む人材も大きく変わってきたし、これからも変わっていきます。

継続するには、変わっていかなければならない。

そう、継続とは変化のことなのです。

「景気が悪くなったから、工場の閉鎖・解雇につながる」
「最初は派遣から」
これは普通の事です。時期が来れば解雇前提で雇っているのですから、感情論を無視すれば本当に普通の事。
私はむしろ、人材派遣業そのものに疑問を感じてしまいます。冷静に考えれば人の弱みにつけ込んだビジネスです。

企業は常に企業にとって最適な人材を捜しています。
有る企業は終身雇用を再開し、教育をしていこうとしている。
有る企業は次々と人を入れ替えて自社に有効な組織を作ろうとしている。

どちらが良い悪いではありません。
それは環境変化に対して変化していこうというただのアプローチです。


これから市場という化け物は数年に渡って我々の生活を脅かすでしょう。
そして企業の継続という目的をも脅かす。

その環境で必要とされる人材とはどんな人間なのか。

その答えは自分が考えただけでは結論に至らない。
それを決めるのは「社会のニーズ」だからです。
誰がどう考えたって、下着一枚で海に潜って魚を石器で付く能力が沢山求められるとはおもえないでしょう。

「昨日と今日では求められる能力が違う」
この認識を持てるか。

自己の生活を継続するためには変化が必要なのです。
逆を言えば、自己の能力研磨をやめて変わらないことを容認した人間は生活が変わっていくのです。


まずは、一歩から。
日本人は世界に類をみない勤勉な民族ですから。

企業倫理と被害者と

ちょうど一年前、私がこのブログを一時休止した際、ネタとなっていたのが毒入り餃子。
その後食品を巡るトラブルが頻発していることもあり、
「もう一年もたつのか」
と感じてしまいました。

その後もやれ農薬だ事故米だと、なんとも醜い事件が相次いでいます。

事故米を使用したことにより、製品回収などが発生した企業には、本当にご苦労様と申し上げたいところです。

しかしながら、マスコミの取材に対して
「我々も被害者だと思っています」
と偉そうにコメントする経営者の皆様には、正直なところ
「ちょっとまて」
と言いたい気がします。

例えば弊社はアルミの鋳物を扱っている。
インゴットを購入し、溶解加工をしてお客様に出荷している。
万が一そのインゴットが、規定の成分から外れていては強度などの品質に影響が出るため、高額な検査装置を導入して社内でも検査を行っている。
強度不足などの問題が顧客で発生した場合は、その責任は弊社に有るし、インゴット業者とは別途の話し合いになる。

カメラに向かって「インゴット業者の責任だ」などとは口が裂けても言えない。
事故米の問題でも、どこかの市長さんが「行政の最高責任者として深く反省する」と、給食への混入を謝罪しました。
これが本来の世間に対する回答であり、コスト追求の為によく調べもしないで安価な製品を使用したという、企業の顧客に対する責任をみじんも感じさせない「私も被害者」という姿勢には、正直ペンディングがつくでしょう。

「会社の数字が芳しくなく」と例の会社のドンは正直にコメントしていましたが、これは買った側も同じ事。
「この業界は厳しい。だからよく調べずに安い物を買ってしまった」
何故この事実が「私も被害者」になってしまうのでしょうか。

以前、中東にボランティアに出かけて誘拐された日本人の家族が「政府は人質優先ですぐに自衛隊を撤退させろ」といった趣旨のコメントを記者会見で行い、「渡航注意の場所に勝手に行った馬鹿息子を」と、世間の集中砲火を浴びた事が有りました。

確かに凶悪な誘拐事件の被害者であったことは事実でしょう。

しかし、加害者で有ったことも事実なのではないでしょうか。
彼らの救出に使われた資金の額を考えたら、「私たちの税金が?」と思うような金額になるでしょうから。

食の問題に関して、純粋な被害者はそれを口にしてしまった消費者であり、それを口に届けた人全員が加害者なのは明らかです。
日本人は神信・仏教の宗教観が強く、他社を攻撃することにより自分を守るという概念に不快感を示します。

まあ、そうは言っても、そういったコメントをした経営者も、顧客や従業員から相当にやられていると思うので、同情する部分もありますが。。。

耐震強度に始まって、現在は食品の闇が暴かれようとしています。
ご存じのように、建築基準法の改正によって日本経済減衰の引き金が引かれたと見る向きも少なくありません。
ただ、必要なことは正しく行われなければならない。

本当の被害者は誰なのか。
サバイバルの中、企業は忘れては行けない「倫理」を常に意識しなくてはなりません。

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