成果主義とモチベーション
先日のブログに関して、下記ご意見と質問を頂きました。
良きテーマと思い、考えを綴らせていただきます。
趣旨の質問やご意見は、良く聞かれる部分ですね。成果主義が失敗だと主張される方の多くが、同じ部分についての疑問を指摘しています。
ただ、危険をはらむ部分で有るため、敢えて強調させていただきますが・・。
まず、本来最も成果を出さなければいけないのは高給取りの人なのでしょうか。心情としては理解できますが、その考えそのものが成果至上(主義では有りません)として人の心には映る気がします。
ご指摘の「特例」というのは、良くある話です。「あのやろーは全く仕事してない」といった想いはよく酒のつまみになります。
更に、誰が評価するかという事についても、「成果主義」でなくても同じ人間・上司がが評価するわけで、成果主義賛否の議論に、誰が評価するかは関係有りません。逆に部下は要求された成果を果たすことで「気に入らない上司」を黙らせる事が出来るのではないでしょうか。
むしろ、成果主義の正否は「評価」ではなく、課題形成・設定なのです。
モチベーションを上げるのは、困難ですが、上司がどうこうといった話では有りませし、社会という構図の中で、特例が存在しないことないどあり得ません。
いずれにせよ、成果主義でモラールアップは可能だと考えます。ただし、管理職・営業職以外への適用は、上に述べた様に正しい課題を与えることを前提としています。
会社で働く人々が「この会社でこれからも働いて行きたい」と思われる会社にしなければならないというのは事実ですね。従業員が離れていく会社というのは寂しいモノです。
ただ、そこは微妙なラインがあります。組織で働く以上、それぞれに役割が有り、それは上司が決定するモノです。「俺はこれをやりたいのに違う仕事を割り当てられた」というのは、一面恥ずべき態度では無いでしょうか。
私は事業部の責任者として、管理職の課題形成や人事を行っています。会社のお金が無限で無いのと同じように、人的資源も無限では有りません。利益追求のため、一番有効と思われる組織を作り、人を配置します。
人間はそれぞれ違いますから、受け取り方も様々です。ただ、これは我慢すべき部分が必ず有ります。
モチベーションの話題になると、どうしても議論が「個の保護」に向かう傾向が有ります。感情的になる。ただ、会社という組織の枠組みで、個と公どちらが優先されるか、言うまでも有りません。会社の目的は「利益を出して続けていく」事であり、従業員満足は手段なのです。
軽んじて良いわけは有りませんが、組織やその構成単位を大きく把握することは大前提となるため、常に心がけるようにしたいモノです。
人のモチベーションは、他人がコントロールできるモノでは有りません。以前も記しましたが、誰でも下がるし、誰でもあがるのです。又、プライベートな諸事情が入り込む部分でも有ります。よく家族関係なども考慮した対応といった議論も有りますが、個人的には深くはいる必要は無いし、むしろ触って欲しくない人の方が多いでしょう。
モチベーションはあくまで個人動機であり、会社が集中的に取り組むべき課題としては、モラールアップのほうが有用かと私は考えています。
要約すると。
1、成果主義の成否は、何を持って成果とするか(課題の適切性)が鍵を握っている。この適切性は、報酬と関わる様にしなればならない。
2、課題をクリアした人間には、運不運考慮無く、評価すべきである。大前提として成果が出ない場合はアップはあり得ない。
3、人間は成功体験の積み重ねによりモチベーション・モラール共に上昇する。注意しなければならないのは、モチベーションの集合体はモラールとならず、コミュニティーとして重要視されるのはモラールである。
といった所でしょうか。
繰り返しますが、成果主義でモチベーション・モラールは上げることが出来ます。評価者ではなく、適切な課題設定が鍵を握っています。課題形成者は上司(評価者)だろ、と言われそうですが、必ずしもそうでは有りません。自己でこれが会社の為になるはずだと、上司を口説くこともできるでしょう。
乱雑ですが、ご質問に対する回答をさせていただきました。
良きテーマと思い、考えを綴らせていただきます。
少々、意見を言わせて下さい。
僕も基本的なところでは、ぶちょー様に同感ですが、成果主義の悪いところは、「仕事は結果だけではない、評価仕切れない部分も有る。」というところではなく、根底に誰が誰を評価するのかにかかっています。
本来もっとも成果をださなければならない高給の人(が成果を上げているかどうか)を評価せずに一般平社員のみ、特に数字で評価しやすい営業マンに絞って評価しようとしているところに誤りがあると思っています。
まさに「手法の問題で会社システムを破壊している」というのはこのことで、成果を出すのは「当たり前」でありながら、特例を認めているのが×だと思っています。
もし、社長、管理職を含め、特例の人を作ったり、例外を認めて厳密に運用できないのであれば、成果主義は使わないほうがよいと思っています。
それよりなにより、もっとも困難なテーマのひとつであるモチベーションをあげることが急務です。成果主義でモチベーションを上げることができるでしょうか?
趣旨の質問やご意見は、良く聞かれる部分ですね。成果主義が失敗だと主張される方の多くが、同じ部分についての疑問を指摘しています。
ただ、危険をはらむ部分で有るため、敢えて強調させていただきますが・・。
まず、本来最も成果を出さなければいけないのは高給取りの人なのでしょうか。心情としては理解できますが、その考えそのものが成果至上(主義では有りません)として人の心には映る気がします。
ご指摘の「特例」というのは、良くある話です。「あのやろーは全く仕事してない」といった想いはよく酒のつまみになります。
更に、誰が評価するかという事についても、「成果主義」でなくても同じ人間・上司がが評価するわけで、成果主義賛否の議論に、誰が評価するかは関係有りません。逆に部下は要求された成果を果たすことで「気に入らない上司」を黙らせる事が出来るのではないでしょうか。
むしろ、成果主義の正否は「評価」ではなく、課題形成・設定なのです。
モチベーションを上げるのは、困難ですが、上司がどうこうといった話では有りませし、社会という構図の中で、特例が存在しないことないどあり得ません。
いずれにせよ、成果主義でモラールアップは可能だと考えます。ただし、管理職・営業職以外への適用は、上に述べた様に正しい課題を与えることを前提としています。
会社で働く人々が「この会社でこれからも働いて行きたい」と思われる会社にしなければならないというのは事実ですね。従業員が離れていく会社というのは寂しいモノです。
ただ、そこは微妙なラインがあります。組織で働く以上、それぞれに役割が有り、それは上司が決定するモノです。「俺はこれをやりたいのに違う仕事を割り当てられた」というのは、一面恥ずべき態度では無いでしょうか。
私は事業部の責任者として、管理職の課題形成や人事を行っています。会社のお金が無限で無いのと同じように、人的資源も無限では有りません。利益追求のため、一番有効と思われる組織を作り、人を配置します。
人間はそれぞれ違いますから、受け取り方も様々です。ただ、これは我慢すべき部分が必ず有ります。
モチベーションの話題になると、どうしても議論が「個の保護」に向かう傾向が有ります。感情的になる。ただ、会社という組織の枠組みで、個と公どちらが優先されるか、言うまでも有りません。会社の目的は「利益を出して続けていく」事であり、従業員満足は手段なのです。
軽んじて良いわけは有りませんが、組織やその構成単位を大きく把握することは大前提となるため、常に心がけるようにしたいモノです。
人のモチベーションは、他人がコントロールできるモノでは有りません。以前も記しましたが、誰でも下がるし、誰でもあがるのです。又、プライベートな諸事情が入り込む部分でも有ります。よく家族関係なども考慮した対応といった議論も有りますが、個人的には深くはいる必要は無いし、むしろ触って欲しくない人の方が多いでしょう。
モチベーションはあくまで個人動機であり、会社が集中的に取り組むべき課題としては、モラールアップのほうが有用かと私は考えています。
要約すると。
1、成果主義の成否は、何を持って成果とするか(課題の適切性)が鍵を握っている。この適切性は、報酬と関わる様にしなればならない。
2、課題をクリアした人間には、運不運考慮無く、評価すべきである。大前提として成果が出ない場合はアップはあり得ない。
3、人間は成功体験の積み重ねによりモチベーション・モラール共に上昇する。注意しなければならないのは、モチベーションの集合体はモラールとならず、コミュニティーとして重要視されるのはモラールである。
といった所でしょうか。
繰り返しますが、成果主義でモチベーション・モラールは上げることが出来ます。評価者ではなく、適切な課題設定が鍵を握っています。課題形成者は上司(評価者)だろ、と言われそうですが、必ずしもそうでは有りません。自己でこれが会社の為になるはずだと、上司を口説くこともできるでしょう。
乱雑ですが、ご質問に対する回答をさせていただきました。














