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アルミ鋳物メーカー、アスザック(株)アルミ事業部の部長のブログ

Calender

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求められる人材とは

派遣従業員解雇が話題になっています。
先日失業者対策に金を使えと書きました。
企業にその体力はなく、義務もないと。


企業は本当に不思議な生命体で、目的は一つだけ。
利益を出すこと、それだけです。

ただ社会経済学の観点からみるとこの命題は言い換えられ、
「継続すること」
となります。

禅問答のようですが、利益を出し続けるから継続できる。
継続する為の手段として利益を出すということになり、継続が利益以上の目的・使命になるというモノです。


「始まりが有るモノは終わる」

これも極日常的な心理で、永遠というのは存在しないらしい。
人の命もそう。

この地球自体、何億年か詳しくは知りませんが、太陽に飲み込まれて消滅するらしい。

継続が目的とは、なんと叙事詩的なことでしょう。

原理に反することを目的とする以上、必ず歪みが出る。
モノは高いところから低いところへ落ちていきます。
急勾配を車で上れば、エンジンは悲鳴を上げます。

そう、継続は原理に反した行為であり、桃源郷のような楽園生活の中にはないことは明確です。

人類及び生命は「子孫を残し進化する」ことでこの「継続」という課題に果敢に挑んできました。
「自己の能力だけでは足りない」部分を、他の能力と混ぜることで環境の変化に対応してきた。
偶然にも優れた能力を発揮した生き物だけが生き残ってきた。

会社は生命体。
現代の企業は全く生命進化と同じような経緯を経ています。
地球が望んだ事と社会というニーズ、という違いがありますが、それに偶然にも適応した会社だけが生き残り、繁栄していく。

いつしか会社はマーケティングという新たな生存確率を高める方法を見いだしました。

しかし、この経済危機でそれは手法として未完成で有ったことが露呈してしまった。

魚を捕るのがうまい人     →狩猟
米を作るのがうまい人     →農耕
家を建てるのが上手な人   →文明創世
剣を振るのがうまい人     →古代文明隆盛
早い車を作るのがうまい人   →産業革命
言われた事だけやっている人 →高度経済成長
金を回すのがうまい人     →金融ビジネス隆盛

時代は移り変わり、望まれる人材も変わってきています。
社会が望む人材も大きく変わってきたし、これからも変わっていきます。

継続するには、変わっていかなければならない。

そう、継続とは変化のことなのです。

「景気が悪くなったから、工場の閉鎖・解雇につながる」
「最初は派遣から」
これは普通の事です。時期が来れば解雇前提で雇っているのですから、感情論を無視すれば本当に普通の事。
私はむしろ、人材派遣業そのものに疑問を感じてしまいます。冷静に考えれば人の弱みにつけ込んだビジネスです。

企業は常に企業にとって最適な人材を捜しています。
有る企業は終身雇用を再開し、教育をしていこうとしている。
有る企業は次々と人を入れ替えて自社に有効な組織を作ろうとしている。

どちらが良い悪いではありません。
それは環境変化に対して変化していこうというただのアプローチです。


これから市場という化け物は数年に渡って我々の生活を脅かすでしょう。
そして企業の継続という目的をも脅かす。

その環境で必要とされる人材とはどんな人間なのか。

その答えは自分が考えただけでは結論に至らない。
それを決めるのは「社会のニーズ」だからです。
誰がどう考えたって、下着一枚で海に潜って魚を石器で付く能力が沢山求められるとはおもえないでしょう。

「昨日と今日では求められる能力が違う」
この認識を持てるか。

自己の生活を継続するためには変化が必要なのです。
逆を言えば、自己の能力研磨をやめて変わらないことを容認した人間は生活が変わっていくのです。


まずは、一歩から。
日本人は世界に類をみない勤勉な民族ですから。

タイの混乱をみて思うこと

国際空港の閉鎖とは、またすごいことになりましたね。
あきれるというか驚くというか。
昔日本で起こった学生闘争みたいなものかもしれません。

タイは本当にのんびりした国で、外国人からみたら「これぞアジア」という魅力が満載。
仏教徒の国としても知られ、まあ争い事とは無縁に思われがちです。

3ヶ月前から首相府の選挙が続くなど、事実上の無政府状態下にある国。
世界経済の減衰が叫ばれる中、本当にタイミングが悪いとしか言いようがない。


にも関わらず(知ってか知らずか)国を憂い、正義に燃えた民衆。

「いい加減に決着して、通常に戻せ」と冷めた大衆。

歴史は繰り返すとはよく言ったものです。



73年生まれの私は、赤軍闘争や学生闘争と言ったいわゆる極左運動をリアルタイムで知りません。浅間山荘事件や安田講堂事件なども後学として知った世代です。

タイはアジアの中でも知識レベルの高い国として知られています。
私が一年前に訪れたときも、バンコクの中心街からかなり離れた田舎町にも、10階建てくらいの非常に綺麗な学校が有り、運転手に聞いたところ中学から大学まで連学性私立学校だと聞かされました。
学校が綺麗だからなんだと感じる方も多いでしょうが、教育にお金を使う土壌がないとこういった施設が運営上成り立つわけがないので、非常に感心した思い出があります。

世界史をひもといても、一般の人々が知識レベルを上げた結果、革命が起こり(日本でも明治維新という革命が発生しました)、王政が廃止され、民主主義政権が樹立されていく例は枚挙にいとわない。

今、タイはそのまっただ中に有るのかもしれません。

それにしても、数年前中国で発生した反日暴動(私は偶然上海で遭遇しました)ときもそうだったように、その運動に参加したのは極わずかであり、ほぼ100%に近い国民は黙って静観しているというギャップが、何とも言えない気持ちを抱かせます。

日本人は政治に対して無関心と言われますが、まあどこの国でも同じなのかもしれません。


ただ、やはりあの民衆エネルギーはすごい。

自己保守的で挑戦心が消え失せてしまったような日本の風潮を考えると、向かう方向はともかく「人間とはかくも情熱的に行動できるのか」ということに一抹の感動を覚え、そして「動かなければ何もかわらない上に、傍観者は得る権利を全て放棄している」という現実に、気づかされます。

昨日のコラムの「すぐやるよし」ではありませんが、自ら動かない事には絶対になにも変わらないし、変わった後の報酬も受け取ることができないのです。
そして動いて変化を起こすことによって、好奇心は満たされ次への挑戦の意欲もでる。
経済で言えばとにかくお金を回すことによって、上がりも下がりもするわけで、動きが遅いことは全てにおいてマイナスであるという事実を認識しなければなりません。

暴力や政治的混乱といった手法はほめられたモノでは有りませんが、今動いた事による変化は、未来への架け橋になるのは事実なのでしょう。

動きましょう、我々日本人も。

税金のつかいみち

補正予算案、通常国会へ見送り。
ああ、本当にプレイステーションが遠のいてしまった。
これだけ市場が大混乱しているときに、半年も先の給付金では悲しくなります。
庶民と政治家・官僚の時間感覚のずれが浮き彫りになってしまいましたね。
全くスピーディーな感じがしません。

それにしても、日本全国失業者があふれかえる日が目前(すでになっているとも言える)です。

失業の増加は、治安の悪化を生みます。

であるのなら、何もせずにいるひとに金を配るのではなく、雇用対策にお金をつぎ込むべきと考えるのが普通でしょう。

街の掃除でもいい、忌み嫌われた公共事業でもいい。
金の周りを良くする事以外、景気対策などあり得ない。

所詮一人12,000円じゃ、プレイステーションなのです。

よく高速道路をムダな税金と言いますが、地方都市にすむ私にとって、オリンピックを機にできあがったインフラはとてもありがたいモノでした。車より鹿が多いと言われてしまうようでは問題有るかと思いますが、公共事業はムダではありません。

まず、税金は失業対策、雇用創出に使用するべきでしょう。

仕事がないと言いますが、正直ハローワークにはまだ募集が沢山出ています。
一時の時給が50円高いからと言って、派遣を選ぶことが今の結果を招いているのも事実です。
仕事はまだ有ります。
ただ、これからの一年は解らない。
日本全国が堪え忍ばなければならない。

いまこそ、税金を使うときです。
企業も必死に努力しています。

弱肉強食の現代社会で、弱いモノにお金を使うべきです。
生き残りをかけた最前線で戦う民間企業には、その体力が有りません。

また、企業はその使命を持っていない。

「すぐやるよし」

これは私の以前の上司が口癖のように言っていた言葉です。
2ヶ月後ではなく、2分後でもなく。

いまこそ、すぐ使いましょう、血税を有効に。

動機の解明を切に願う

犯人と思われる人物の自主で、テレビは殺人のニュースで一色。
前代未聞とまでは言いませんが、日本ではまれな事件であるため、かなりの騒ぎになっています。

理不尽な殺人は許されざるものであり、断罪して欲しいと思いますが、やはり再発の防止が一番で有るため、動機の解明が期待されます。

マスコミ取材で暴かれる人物像は普通の人間であった若者が、非常に攻撃的な人間に変わるようなストーリーが描かれていますが、まあおとなしい人間が一度恫喝という麻薬にはまってしまうと、そうなるのでしょう。
会社で仕事をしていると、こういった人は沢山います。
自己の立場を利用してうさをはらし、満足感を得ようとする行動は気の弱い人によくみられることです。


もし本当に報道されているような理由が動機であったとしたら、世も末だとしか言いようが有りません。

「むしゃくしゃした」
「自分の存在を認めさせたくて」
とは口が滑ってもいわないのでしょう、最初には。

ただ、私が感じるのは
「これは社会の縮図でもなんでもない」
ということです。

よく耳にする論調ですが、これはおかしい。

私は1973年生まれ。受験戦争が叫ばれ「学歴による就職差別」「子供たちを学業が追いつめている」といった論調が最も盛んな頃、大学受験を経験しています。
当時、受験苦による自殺などのニュースが連日紙面を飾っていた時代でした(この頃からゆとり教育などの議論が始まり、結局学業苦が原因でないという判断がくだり制度そのものが無くなりましたね)。

私が当時感じていた違和感は今も消えません。
少なくとも私は、それにより人生が決まる等と思っていませんでした。
「おおきなお世話だ」と感じていた。

確かに何十人もの人間が受験戦争を苦にして死んでいったのかもしれない。
ただ、同じ年の人間が100万人もいてその30%程度は同じ苦しみを味わっている。
あそこまで「かわいそうだ」という話が盛り上がると、「それに耐えている人の方が沢山いるのだ」と逆に「馬鹿にするな」という思いを持ってしまうのも人間ではないでしょうか。

世の中には様々な人がいます。

もし私が同じように家族を殺されたら、犯人をこの手で殺したくなるかもしれない。
私だって聖人ではない。それは人間感情として、そうなるかもしれない。

ただ、こういった事変が起こるたびに「社会正義」を振りかざす人種にペンディングがついてしまう感情は消えない。

社会が悪い、時代が助長しているというのはあまりに短絡的で、他人事であり、自分が達観していると思っているナルシストの感覚ではないかと思います。

だからこそ精神異常で片づけずに、きちんと犯人の心理を確認し、動機を解明して欲しいと願います。

「社会は自分を認めてくれているのだろうか」

はっきり言いますが、社会などと言う存在のないモノに自分を認めて欲しいというのは甘ったれも良いところで、詰まるところ自分を認めてくれるのは家族であり、友人です。それ以外は基本的にどうでもいいと思っているでしょう。自分を知っている人間ですら、ほんのわずかな数のはず。

百歩譲って認めて貰うには、自分が社会にとけ込むしかない。

うーん、今年は通り魔だとか色々ショッキングな事件がありました。
閉塞感に伴い、歴史的にもファシズムの台頭やナショナリズムなどの加熱が起こることも歴史的事実であり、もしかしたら現代人類文明が内包するシステムなのかもしれません。

ここは一つ冷静に動機の解明を進めることで、個人の問題として対応し、その上で社会システムの見直しを図って欲しいと、切に願います。

望まない人生など価値がない

一時期スローライフなんて言葉が流行りました。
ゆっくりと自分流の生き方を過ごしていく。
私はそんな風に解釈しています。

まあなんというか、一種の悟りのような感覚がありますね。

私はどちらかというと、そういった空気とは違う人間かと思います。
正直に言って意味がわからない。

自分流の生き方ってどんなモノなのでしょう。

私には皆目検討がつかない。


自分らしさ、個性。

そんなモノは周りがいて初めて決めてくれるモノ。
自分で「これが私らしさ、私の個性」というのは、正直ばかばかしいのでは。
自分らしさという時点で他者との比較が始まっているのだし、文明を謳歌する現代人に完全なる解放などあり得ない。


超常現象のような話に聞こえてしまいます。


自分を他人がどのように評価してくれるか。
これは有る意味集団生活をする上で非常に大切な観点です。
そして、それを無視するような事は絶対に有ってはならない。

この地球にはそれこそ数え切れないほどの生物が存在し、様々な営みを行っています。
そして人類ほどではないにせよ、高度に知能が発達した動物は群れて活動している。

生き残るために、群れている。


行き急ぐ必要は無いけれど、自分流人生なんて死んだときに周りが評価してくれればいい。
生きているうちから「自分の存在場所」「自分探し」なんて、どうでもいい。

と、今の私は思っています。

望むから、裏切られる機会が発生し、人は苦しむ。
だから望まなければいい。

こんなに悲しい話があるのでしょうか。

私は10年前、両目の完全失明という大病をしました。
「生きていることに価値がない」
と感じ、自殺願望を持った事もあります。

奇跡的に病魔から解放され日常生活を送るようになってから、強く感じるようになった事があります。

強く望むことは全てのスタートだと。
目が見えるようになりたい。家族と幸せな生活を送りたい。バリバリと仕事をしたい。

望まなければ始まりません。
そして走り続けた結果、周りの景色が変わりました。

自分へ望むようになったのです。
「今は駄目だけれど、こういう努力と工夫をして実現する」
と考えるようになりました。


私自身がどういう人間かなんて、正直解りません。
仕事柄会社のスタッフについては得手不得手などを詳細に観察していますが、さて自分はと言われると解らない。

人間なんてそんなものです。


望んで汗をかいて走った結果を周りは「個性」として評価してくれる。


先の見えないこの時代だからこそ、夢を追いましょう。望みましょう。
そして他人との調和の中で、がむしゃらにやりましょう。

もはや日本人にスローな人生など許されないのではないでしょうか。

厳しい冬の先には

ああ、ついに雪が降りました。
長野は昨日から氷点下を迎え、今朝は薄く雪化粧に包まれています。

昨年は忙しかった事もあり、十何年ぶりにゲレンデに行きませんでした。
奥方から「今年こそはいく」と気合いを入れられております。

この季節になると「ああ、師走だな」とどたばたするイメージがあります。世界経済がどんなに暴れようと、地球は何事もなかったかのように時を刻んでいます。

バブル崩壊後の不景気話も盛り上がりましたが、現実的なマイナス成長(この言葉は本当に胡散臭い。イメージの問題でしょうが、要は衰退です)が始まった今、またこの話題が主役に躍り出るのでしょう。

雪国の夜は本当に静かです。

朝、私も早く出てくることもあり、道路には車が殆どおらず、会社までの道のりは静まりかえっています。
雪が様々な雑音を消し去ってくれるのか。

そんなとき、私は逆に文化文明のありがたみを感じます。
孤独に耐えられる人間は少ない。

だからこそ管理者として孤独な人間を作り出してはいけない。

中には本当にわがままで、良いところが見つからない人もいます。
ただ、生きていく中でほとんどお目にかかることはない。

景気感が悪くなると、悲しいかな人間は他者への攻撃を開始する。
「自分はこれだけ頑張っているのに、あいつはなんだ」となる。

そして孤独は深まっていく。

どうすれば、本人に状況が伝わって意識を変えられるか。
それが「人を動かす」原理です。


しんしんと舞う今年の初雪は、今も窓の外で降り続いています。
無論、生き残りをかけた戦場である仕事場で、ぬるい人間は置いて良かれ去る人も出るでしょう。
ただ、この寒空にぽつんと取り残される事を考えたら、心を鬼にして正確に、そして丁寧に現実を伝える必要が有る。

また春になれば極寒の信濃にも新しい命が芽生えてきます。

春を謳歌するためには、身を削るしかないのです。

営業プロセスが今こそ求められる 其の三

まず自社の営業部に「案件」という考え方が有るかどうかを考えてみてください。
案件とは新しく発生した販売機会の事。
弊社では製品1ヶ毎を案件として定義しています。
まあ鋳物屋ですから、製品毎に型を作る。一つずつの定義が明確になっている。
ただ、これはどんなビジネスも同じ。定量的に流れる製品であってもニーズが有って初めて売れるわけだから当然です。

そしてその案件を獲得するためにやることは何か。
逆にやれる事はなにか。

実はそれほど多くないのです。


以前も書きましたが、最終的にお客様(特にキーマン)は最終的にQCDで購入を判断します。
例えば足繁く通う。それが発注につながるとはどうしても思えません。
例えばただ競合との値下げ合戦。誰もうれしくない。

ポイントは何か。

営業マンが勘違いしがちな事なのですが、営業マンが何をやっても買ってもらえない時は買ってもらえないという事実を意識できるかどうかが重要です。

「そんなことでは会社がつぶれてしまう」と声が聞こえそうですが、そんな意見は石器時代の考え方で、どんなに良い製品を作っていても株が下がればテレビが売れない時代。売れないときは売れないのです。

ではどうするか。

ネタを増やすしか有りません。
マーケットが無いのなら、それ相当の痛みを覚悟して違うマーケットに挑むしかない。

さて。
そこで重要になるのが「見切り」です。売れない案件に何十時間もの時間を割くのはどう考えても得策とは言えない。
如何に早く「獲得できるか否か」を判断する物差しが重要になってきます。

この物差しには様々な要素が絡みます。
顧客規模、業種、案件規模(売上金額・限界利益金額)、持続性、さらにはキーマンへのアクセス度といった要素です。

気をつけて欲しいのは、この要素に「人間関係」を持ち込まないこと。
ほぼ100%関係有りません。

その要素を星取表にして、取れるのか取れないのか。取りたいのであれば不足しているポイントに絞った活動をする。

そしてもう一つ、必要以上に活動しないということを常に意識して欲しいモノです。

勿論、マニュアル化・プロセス化出来ない部分も存在しますし、それを否定するつもりは有りません。ただ、営業活動時間の2割程度までしかその部分には浪費しないことを限度にするよう気をつけてください。特に電話の長い営業マンは要注意。ほぼ100%ムダです。
私の感覚では、2割以上を割いている営業マンは絶対に期待される数字を出しません。

又、営業マンのプロセスを構築する際には管理サイクルを短くしたほうが効果的です。半期毎でも四半期毎でもなく、1ヶ月程度で十分。そうすることで一年を通じて安定した獲得活動を行うようになります。

さて、まとめてみましょう。

営業プロセスのポイントとして
1、ステップをなるべく簡易的にし、訪問に理由を持たせ報告させる仕組みにする。
2、見切りの要素をまとめ星取し、駄目な案件を引きずらない。
3、時間管理の概念を変える。
4、管理サイクルを短くする。

といったところでしょうか。

やるべき事をやったら、後は待つしかないのが営業の仕事です。
ただし、何をやるべきか解っていないのも営業マンの性です。

まさに、人事を尽くして天命を待つといったところでしょうか。

営業プロセスが今こそ求められる 其の二

これは業種による差が有るのは事実ですが、一般的にどのような業種でも共通する項目ではないでしょうか。図面とは仕様書の事です。
「そうは言っても見積もりを出した後に駆け引きが始まるんだ」
と誰もが思うでしょうが、今の時代にそんな駆け引きはムダです。

単純に考えてください。
お客様はいわゆるQCDしか評価しません。
実際にはこれにもう一つ特殊な要素が有ります。これだけ倒産が相次いでいる時代だと、安定した購入先かどうかを問うて来ます。
これも工場用語で「安全」つまりsafetyの頭文字を取ってS、要は工場で言うSQCDにすぎません。

私は営業マンにこう言い続けています。
「他社より高く買ってもらえるなら、駆け引きしろ」と。
重要なのは「他社より」の部分。

駆け引きを値下げの舞台にするなという、この単純な話がなかなか伝わらずに苦労しました。

これは昔ながらの営業スタイルが身に付いている人間にとっては、価値観の切り替えが難しい。

読んで頂いている方の感覚をチェックしてみましょう。
あなたはA社で働いています。
A社の通常取り扱い製品の粗利益率は40%。つまり600円で仕入れて1,000円で売っている。
今、有る商談で仕入れ400円の製品を1,000で見積もり。顧客の反応を探ると
「100円安くしてくれ。」
900円でも粗利益率50%以上。思わずニヤッとするようでは、営業マンとして失格でしょう。

営業マンの使命は、一円でも多くの入金を社にもたらすこと。

ではどうするか。
上記のやりとりで
「900円で買ってくれる」という保証はどこにもないはずです。
仕事を取るというのは、そんなに生やさしい事ではない。

何が不足しているのか。
もっと言えば、何を怠っていたのか。

これを補って確率を上げていくのが営業プロセスであり、工場で言うチャック表であり、営業業務の標準化なのです。

つづく

営業プロセスが今こそ求められる 其の一

市場が大混乱し、弊社を含め企業の営業見通しに暗雲が立ちこめています。
営業情報の不確定さは度を増し、いよいよ持って冬ごもりの状況ですね。

営業は営業で大変ですが、工場も仕事がなくてえらい状況になっているのが実情でしょう。

自動車、建機と日本国輸出の屋台骨が揺らぐ中、ますます持って合理化や標準化が進んでいく事でしょう。
ムダ取りは余裕のある時しか行えないとはよく言ったモノで、企業がきつい状況になればなるほどカイゼンする余裕もなくなっていく。悲しい現実です。

これからますます、営業活動の標準化が進むモノと思われます。
必然的にそうなる。

何故って、営業はギャンブル性より確実性を求められるからです。

私も営業部長になって営業マンを管理するに辺り、この営業プロセスというモノに真剣に取り組んできました。


「人と人とのつながりが営業」
これは全くその通り。何より大切なことです。
しかしながら、数字を出す営業マンはこの言葉を吐きません。
これも事実です。
その違いは何か。

人間関係は前提条件であり、仕事を取るための条件ではないからです。
「人間関係が有っても失注した」
これは良くある話。
「初めて行ったのに、仕事もらえた」
これも現実に有ります。
禅問答のように聞こえるかもしれませんが、この2例を取っても人間関係が受注の十分条件ではないことが解ります。

そこで、本質的に仕事を獲得していくためには、ある一定のプロセスが有ることを理解しなくてはなりません。

プロセスとはマニュアルのことではない。
営業マンがこういった管理を嫌うのは、プロセス=マニュアル通り と勘違いすることによるものです。

営業で言うプロセスとはトヨタの作業のように手の動かし方を決めるようなモノではない。
端的に表現するなら、自らの受注の確定度を確認していく作業に他なりません。

例えばどういう事か。

私は部下に単純な営業プロセスをモデルとして話をします。
営業は訪問なくして獲得はない。顧客訪問が営業の全てと言っても大げさではない。
しかし、ただ行きましたというのは不良品作成行動です。

そこで、営業の訪問目的を5ヶに区切りました。
1、会社プレゼンテーション
2、見積もり図面受諾
3、見積もり書提出
4、見積もりフォロー(1回に限る)
5、発注書受領
です。

おいおいという声が聞こえそうですが、これは断言します。
これ以外の目的訪問はただの「お茶会」です。
確かにお茶会は必要でしょう。ただし、お茶会は「不良品を作る」と同じ事。
これを理解しないと、営業活動は恐ろしく停滞することになるのです。

つづく

だめりか

 表記の言葉、ご存じですか?
「駄目リカ」。
アメリカという国を蔑視した表現で、ネットでの隠語(というより普通に使われている)です。

最近、若い新入社員と話して感じたことなのですが、今の20代前半の世代にとってアメリカって結構どうでも良い国らしい。
世代交代を感じてしまうエピソードです。


我々は学校の勉強で「日米同盟」を学んできました。
多少誇張のある表現ですが、アメリカは富と栄光の象徴であり憧れの的でも有った。
高校の同級生の中にも、あっちに移り住んだやつが何人もいて、マイアミの暑そうな太陽の下で日焼けした写真を送ってきたりしていた。

私自身は米国へ上陸した事は有りませんが、やっぱり一度は行ってみたい。

私は仕事で海外に出るたびに、夢遊病のようにその街を歩き回ります。
屋台で食べられそうなものを買ったり、庶民の店に入ってみたり。
空気を感じるためです。

世界の縮図であるアメリカという国を体験してみたい。まあ、いつになるか解りませんが。

私なりに感じる世代ギャップは、IT技術の発展により海外に対する興味が薄れていることも原因にあるのかと思います。
朝から晩まで刻一刻と世界中の情報が入ってくると、まるで自分が体験したことのように錯覚してしまう。
空気を感じる能力みたいなハナシをすると
「はぁー?」
と言われてしまう。

いくら写真で有っても、所詮バーチャルリアリティであることを理解できないことに、正直危惧を感じてしまう。

何を持って「駄目リカ」と表現しているのかは解りませんが、バーチャルな情報網の中で様々な議論もどきが展開するネットならではの表現かなと思います。


アメリカは駄目なんでしょうか。
多分駄目な部分もおおいのでしょう。

それでも野球やバスケに始まり、ビジネスのチャンスを目指し続々と日本人もアメリカに挑戦していきます。
挑戦されることを受け入れる度量。結果として極度の格差を生んでいるのは事実ですが、その懐の深さは世界中どこの国を探しても見あたらない。
おおざっぱな数字ですが、アメリカの白人人口比率は80%だそうです。都市部では60%ぐらいに下がるところもある。
その殆どの人が選挙権を持ち、法律上は平等に扱われる。

おらが村の米作を守るために米一粒入れないと言い続けた日本人の小市民ぶりとは訳が違う。

世界唯一の大国として「受け入れる」ことを拒まないアメリカという国の度量に、正直私は感銘を受けます。

そしてついに黒人大統領の誕生を受け入れた。

日本にそんな時がくる事を想像してください。「誰がやっても同じ」と投票にも行かない人たちが、さも考えてる振りをしてコメントするような国に、そんな事は起こりえない。

何でもかんでもアメリカを賞賛する気はありませんが、懐の広さと寛大さを改めて感じた大統領選でした。

どんな未来が待っているか解りませんが、新しい同盟国の大統領に日本の片隅からエールです。

「はい上がれ、駄目リカ!!」

たまには時事ネタで「給付金」を考える

今朝、ネットでニュースを閲覧していたら「給付金」のネタで大きく取り扱いが有りました。
昨日も奥方と「うちら夫婦で24,000か~」と話題になり、私が「経済のためにプレイステーション3を買おう」と提案したら、「意味わかんねー」と一瞬で却下されました。

日本ではあまりなじみのない現金還元という形の減税。一昔前に地域振興券という形で実現した記憶が有ります。

まあ期間限定使い切りという形で交付すれば、一時的にせよ2兆円という金額が市場に流通するわけだから、即効性の有る景気対策としてはあながち悪いモノではないでしょう。


そこでまじめに考えてみると、この12,000円という金額が、果たしてどのような消費に使われるのかという疑問が沸きます。
今、12,000円で買えるモノって、日常品ですよね。

安いゴルフクラブ1本。安いジャケット。食品の買い込みには多すぎる。
節約志向の強い人は日常品を券で買い、その分を貯蓄に回したりしてしまうのかもしれませんね。

うーん、せっかくの泡銭。

無駄遣いしないと気が済まない。

プレステが駄目なら、奥方も使用する何かを検討しなくては。

と考えると、何もない。
お金が中途半端だからだと感じます。

自民党もせこい。選挙対策をかねてやるなら一人10万位ぱーっとまいてくれれば、パソコンを買ったり、カーオーディオを付け替えたり、ブルーレイプレイヤーを買ったり出来るのに。

まあ、いつくるかも解らない12,000円を想像して様々な家庭で話題に華が咲いているだろうと思うと、それだけでも有る意味景気対策なのでしょう。

ここはひとつ、政治に踊らされて楽しんでみるのも一興かと思います。

トヨタの歩んだ道

トヨタ株が暴落。派遣労働者解雇。そして利益予想1兆円減。
世界のトヨタが揺れています。

手元資金の豊富さから、研究開発を維持との発表はさすがと感じますが、金融ビジネスの破綻に始まった恐慌は、一つのビジネスモデルの終わりを告げました。

資本主義が根本的に内包する問題。
「成長していない事は衰退を意味する」という根元です。

世界のどこを見回しても、企業は巨大化するしか生き残る道が有りません。
町工場だって少しずつ巨大化する。
同じサイズのまま維持を続けるのは難しいのです。

市場が伸び続けることを前提としないビジネスは存在しません。


トヨタの経営陣は10年以上前から「自動車産業は行き詰まる」と発言し、環境事業やその他へのシフトを盛んに口にしていました。
「サキチ電池」の開発からも解るように、この終焉を予想していたのは事実でしょう。トヨタの営業利益の殆どは日本国内と北米(要するにアメリカ)で稼ぎ出していました。新興国での利益は本当に薄く、日本経済の先詰まりや車離れの中、北米に頼ってきたのも事実です。

自動車がどこまで売れ続けるのかは想像できませんが、まあ、地球の人口以上に売れることはないし、性能が良いから簡単には壊れない。
当たり前といえば当たり前の事かも知れません。

どこを見据えているのでしょうか、トヨタは。

カイゼンに代表されるコスト削減能力。
「お上」と崇められ絶対的に下請けを服従させ、自社以上に乾いた雑巾を絞ることを外部に要求してきた姿勢。
どちらも、真実です。

たまたまの結果ですが、弊社はアルミ鋳物というコモディティを扱う会社ながら、自動車産業に入ることを拒んできました。
別にこの自体を予想していたわけでは有りません。たまたま弊社のメリットが生きない業界であったからです。

ただ「トヨタのくしゃみは孫請けの肺炎」と呼ばれる状態にはなりたくないというのが本音でした。

ビジネスとして見れば、成功だったのか失敗だったのかは解りませんが、猫も杓子も自動車という麻薬から、日本工業は一気に解き放たれるチャンスが来たのかもしれません。

日本経済と雇用を引っ張ってきたトヨタに対して、国民の信頼が揺らぐことはないと思いますが、「派遣業」という名の下に未だに出稼ぎ労働者が何十万人とこの日本に存在する事実を目の当たりにするに至り、日本人は考えを改める必要が有ります。

ブルーカラーはなくなって来ているのです。

私自身が億万長者になれる確率は少ないと思います。
普通の田舎のサラリーマン家庭に生まれ育っています。
それほど裕福だった訳でも有りません。「金がないから、大学行くなら国立だ」と言われ、必死に受験勉強をした経験が有ります。

ただ、チャンスだけはこの国に残っています。
努力で、有る程度昇っていける機会は存在しています。

どこまで昇るのかは本人の感覚の問題ですから、一概には言えません。
弊社がトヨタになれる可能性も殆どないでしょう。

ただ、どんなに小さいビジネスでも、どんなに小さな場所でも、光り輝く場所は残っています。
馬鹿みたいな大金が全てなのか。
ブルジョアな暮らしなのか。

全てに対して「くだらねえ」とつばを吐く人間は、ひっくり返っても輝けません。

トヨタの何がすごいのか。
それは利益への執念であり、一歩ずつ歩み続けた軌跡なのではないでしょうか。

腐るな、日本人。

今をチャンスと考える気概を持って行きましょう。

花と緑の祭典 GERDEX

 弊社は昨年に引き続き、千葉の幕張メッセで行われた花とガーデニンググッツを扱う見本市に参加致しました。
 主催者発表は昨年を上回る入場者との事でしたが、正直全体的には盛り上がりに欠けた印象が有ります。
 それでも全国から農業関係者の団体が見えたり、昨年以上にアジアを中心とした海外ブースが増えたりと、華やかな印象は変わりませんでした。

弊社はアルミ鋳物を扱うメーカーですが、大きく2本の柱を軸に活動しています。
エクステリア製品に関しては、日本向けには有名メーカーのOEM、海外ではオリジナル製品を販売。
一般機械に使用されるアルミ製品も数多く扱っており、日本工場の生産は殆どがこちらに向いている。

普段日本の営業マンは、殆どが機械分野の顧客を対象に活動しており、なかなかこういったユーザー感覚の場所に置かれることがないわけで、そういった意味でもこういった展示会は企画者、デザイナー、営業マンといったチーム(勿論私も含めて)が直の声を聞ける希少な機会でありました。
200810gardex.jpg
こちらの業界も中国製に押されています。
意味がわからないくらい安い。
こういった製品を見るたびに、かつて日本製品を「安かろう悪かろう」と呼んだ白人社会の憂鬱が解る気がします。
だって、売れるんだから。

弊社はエクステリアの分野では、高級品メーカーで有ることは間違い有りません。場合によっては0が一つ多い位。アルミでありまた鋳物である事によるボリューム感や優雅さは追従できないモノであることもありますが、まあ、単純にコストが違うのも事実です。

それでもこういった趣味の分野では、財布のひもが緩むのか大変なにぎわいで、チープな製品群に見飽きた叔母様方の心を、弊社ブースはがっちり掴んで離さないのでした。

それにしても、展示会ビジネスは本当に大盛況ですね。リードエキシビジョンという会社の主催なのですが、考えてみればバブル崩壊後の企業心理を巧みに利用し、なおかつ中小企業に打って出る機会を与えるこの事業は、ニーズを本当に満たしている。

よく地方の田舎では「○○博覧会」というようなイベントを行っています。これも展示会と似たような効果を狙っているのだと思います。
それをビジネスにしてしまうとは、目の付け所が違いますね。

景気の後退を考えると、しばらくは新たな売上確保を目指してこのような展示会産業は華々しく続いていくでしょう。

普段目にすることが出来ないモノを一同に介して見せる、魅せる。

前向きな取り組みにはわくわくしますしね。

来期は機械要素技術展とジャパンホームショーに出展予定です。
機会ございましたら是非、ご来場ください。

僭越ながら、このブログの筆者も参加しております。

JIMTOFに行ってきた

 昨日まで、東京のビッグサイトにて日本最大の工作機械見本市が開催されていました。
弊社も十数台のマシニングセンターを使っていることも有り、プログラマーを引き連れて見学に行ってきました。

 ビッグサイトの全展示スペースを使用して行われるこの展示会は、国内外のメーカーが一同に解する壮大なモノで、2年に一度開催されています。

今回も大勢の人が来場し、会場内は熱気があふれていましたが、正直あまり面白味のない展示内容でした。
2年前は各メーカーそれなりにユーザーの心に響く新機能などが有ったのですが、かなりこの業界も行き詰まっているのかも知れません。

展示会は今やビジネスと化しています。出展する方、見に行く方それぞれの思惑が一致する。当然win-winの機会を提供するのだから利益が出る。
実は同時期に幕張メッセで行われたガーデニングの展示会に弊社も出展者として参加していました。

服やブランドのバッグならいざ知らず、高価なモノやビジネスに置いてはやはり自分の目で見てというのが強いのかもしれません。

個人的に思うのですが、人が集まる場所にはなにかしらのアクションが発生します。
これをビジネスに替えるのが展示会という醍醐味。


それにしても、繰り返すようですが今回のJIMTOFはしらけていました。
さすがにあちこちのブースを回っても「不況、不況」の連呼で、減産や利益減に追い込まれている企業が多く、2年前とは完全に立場が逆になっていました。2年前は平気で納期1年とかいってたのに。。。

工作機械の受注動向は日本工業のバロメータと言われています。過去の円高による不況を海外販売増で乗り切ってきた日本工業界の象徴とも言える業種だからです。

それが完全にリセッションに入ったと言われるこの状況は、思わしくない状況で有ることは異論の余地がありません。

そんな状況の中、我が社のガーデニング展示はどうだったか。次回綴ってみたいと思います。

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