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アルミ鋳物メーカー、アスザック(株)アルミ事業部の部長のブログ

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才能がないと悩む前に

 世に天才は存在します。

私は100メートルを10秒以下で走ることなど出来ない。多分最新技術を駆使したトレーニングをつんだとしても、到達できない世界でしょう。

 後生に名を残すことになった天才達の偉業は、凡人には到達することの出来ない世界で起こっている出来事なのかも知れません。

 私は背が高い方です。184センチ。大柄になってきた日本人ですが、その中でもまだ私くらいある人は少ない。服がなくて困ることも有りますが、高いところのモノが取れます。どうでもよいことですが、才能かも知れません。

ただ偉業と呼ぶことは出来ない。天才とも呼ばれない。

世界で一番大きいからではなく、努力の結果によって勝ち得たことではないからです。


 世の中には、様々な現象が有ります。森羅万象に始まり、人の営み、家庭生活、仕事迄。「100メートルを早く走れなくたって死ぬ訳じゃない」、それはそうでしょう。

でも私は走ってみたい。走れる人は羨ましい。絶対に私の知らない世界を見ているからです。

才能がなければ物事に成功することはない。これは当たり前。しかしながら才能が有るかどうかは、磨いてみないと解らない。これも当たり前なのです。

 100メートルで言えば、殆どの日本人が学校で一度は走った事がある。タイムも計って貰えたでしょう。何も訓練を受けていない普通の子供が10秒以下で走ることなどあり得ない。ただ群衆の中に僅かだけ他者より早く走ることが出来る子供がいる。平方根的にその選別が行われ、磨かれ、鍛えられ、国を代表していく。そして国際大会などで1/60億が決まる。子供の頃の僅かな差だけが才能で、それ以上は全て研磨という名の苦しみだけが生み出すモノなのです。

果たして、天才とはなにか。

才能とはなにか。

「私には才能がない」と人は何故嘆くのか。

何故天才は妬みをかうのか。

人が幸せに暮らすために、必要な才能? 幸せになる天才?

こうは考えられませんか。
自分の才能を発見できた人が天才なのだと。そしてそれを磨けるモノは勇気ある人だと。
そして、それを周りに認めて貰える人は幸運だと。

人の美しさや能力を認められない人は、それよりも自分が美しく、才能有ることを周知させるべく醜い行動に走っていく。
その行為自体が自分をおとしめることに気が付かず。

「認めろ」と迫る行為はそれ自体が無意味であり、認めてもらうという自己以外がジャッジする行為を否定している。

欺瞞と自慰に満ちた狂気にも似た行動を誇らしげに行う人が、偉人と認められるはずもなく、まして天才と呼ばれる事もあり得ない。

仕事にも天才はいます。才能も有る。

ただ、生まれた時からビジネスマンという人はいない。
ビジネスそれ自体に価値を見いだし、幸せに感じる人間もいますが、やはり人は幸せに暮らすことを願うのでしょう。

100メートルを早く走れる人は少ないが、ビジネスで成功する人は多い。

逆にそれだけチャンスがあるシステムをこの世界は採用している。

才能という幻を言い訳にして立ち止まることが全てを台無しにするのだと、気が付いた人だけが才能を開花させていける。

天才とは、立ち止まることを許されなかった苦労人なのかも知れませんね。

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