リーダーシップとはなにか
福田総理大臣の辞任が大きく話題になっています。
ほぼ一年前、このコラムでも総理大臣辞任について触れましたが、一年前となにも変わらないマスコミ報道に多少うんざりとしたモノを感じるのは私だけでしょうか。
辞任前は「辞めろ辞めろ」の大合唱。辞任を発表すれば「無責任」とは、なんとも大衆心理に迎合した劣悪な批評ではないでしょうか。
「リーダーは、コミュニティーが作り上げるモノです。反面、群衆はリーダーの足を引っ張りたがるものでもある。」と、一年前のコラムに書きましたが、まさにその通りになってしまったというか。。。
悲しい人間の性でしょう。
あえて強い表現をしますが、国民は政治になにを求めているのでしょうか。
例えば企業経営に携わる人は「円高基調を是正してほしい」とか、「地方公共整備に資金を回してほしい」とか、より自社に有利になることを望んでいる。それによって従業員や社会に還元を行い、更に自社投資を行っていく。
ただ、殆どの国民は「とにかく私たちに楽をさせてくれ」という漠然とした「お上幻想」しか持っていないのが実情ではないでしょうか。
確かに投げ出してしまった感覚は否めませんし、無責任と感じることは普通の感覚ですが、これだけグローバルにマネー流動が発生し、又資源を持たない国である日本では、実経済と政治の乖離は有る程度しかたない(政治手法により経済コントロールすることが難しくなっている)事であり、国民一人一人がより高い水準での経済活動を余儀なくされていることを証明した出来事という側面もかいま見えます。
「自分の置かれた境遇は不当である」
これが大多数の人間が持つ心理であり、今流行の「新鬱病」の根元です。
そしてその環境を打開するのは「えらいひと」。
自ら動くことが出来ない、またはどのように動いたら良いかわからない。
国民総「小市民感覚」という現象。
その国を引っ張っていくこと。
リーダーのモチベーションは、国民が上げなければならないのも事実でしょう。
もちろん、リーダーは責任も負う。権力とは責任のこと。
国政の責任者となる覚悟というのは、計り知れないほどの決断でしょう。
担うこと、牽引すること、そして退くこと。
それらすべてにリーダーシップは必要とされるのです。
ほぼ一年前、このコラムでも総理大臣辞任について触れましたが、一年前となにも変わらないマスコミ報道に多少うんざりとしたモノを感じるのは私だけでしょうか。
辞任前は「辞めろ辞めろ」の大合唱。辞任を発表すれば「無責任」とは、なんとも大衆心理に迎合した劣悪な批評ではないでしょうか。
「リーダーは、コミュニティーが作り上げるモノです。反面、群衆はリーダーの足を引っ張りたがるものでもある。」と、一年前のコラムに書きましたが、まさにその通りになってしまったというか。。。
悲しい人間の性でしょう。
あえて強い表現をしますが、国民は政治になにを求めているのでしょうか。
例えば企業経営に携わる人は「円高基調を是正してほしい」とか、「地方公共整備に資金を回してほしい」とか、より自社に有利になることを望んでいる。それによって従業員や社会に還元を行い、更に自社投資を行っていく。
ただ、殆どの国民は「とにかく私たちに楽をさせてくれ」という漠然とした「お上幻想」しか持っていないのが実情ではないでしょうか。
確かに投げ出してしまった感覚は否めませんし、無責任と感じることは普通の感覚ですが、これだけグローバルにマネー流動が発生し、又資源を持たない国である日本では、実経済と政治の乖離は有る程度しかたない(政治手法により経済コントロールすることが難しくなっている)事であり、国民一人一人がより高い水準での経済活動を余儀なくされていることを証明した出来事という側面もかいま見えます。
「自分の置かれた境遇は不当である」
これが大多数の人間が持つ心理であり、今流行の「新鬱病」の根元です。
そしてその環境を打開するのは「えらいひと」。
自ら動くことが出来ない、またはどのように動いたら良いかわからない。
国民総「小市民感覚」という現象。
その国を引っ張っていくこと。
リーダーのモチベーションは、国民が上げなければならないのも事実でしょう。
もちろん、リーダーは責任も負う。権力とは責任のこと。
国政の責任者となる覚悟というのは、計り知れないほどの決断でしょう。
担うこと、牽引すること、そして退くこと。
それらすべてにリーダーシップは必要とされるのです。
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