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アルミ鋳物メーカー、アスザック(株)アルミ事業部の部長のブログ

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動機の解明を切に願う

犯人と思われる人物の自主で、テレビは殺人のニュースで一色。
前代未聞とまでは言いませんが、日本ではまれな事件であるため、かなりの騒ぎになっています。

理不尽な殺人は許されざるものであり、断罪して欲しいと思いますが、やはり再発の防止が一番で有るため、動機の解明が期待されます。

マスコミ取材で暴かれる人物像は普通の人間であった若者が、非常に攻撃的な人間に変わるようなストーリーが描かれていますが、まあおとなしい人間が一度恫喝という麻薬にはまってしまうと、そうなるのでしょう。
会社で仕事をしていると、こういった人は沢山います。
自己の立場を利用してうさをはらし、満足感を得ようとする行動は気の弱い人によくみられることです。


もし本当に報道されているような理由が動機であったとしたら、世も末だとしか言いようが有りません。

「むしゃくしゃした」
「自分の存在を認めさせたくて」
とは口が滑ってもいわないのでしょう、最初には。

ただ、私が感じるのは
「これは社会の縮図でもなんでもない」
ということです。

よく耳にする論調ですが、これはおかしい。

私は1973年生まれ。受験戦争が叫ばれ「学歴による就職差別」「子供たちを学業が追いつめている」といった論調が最も盛んな頃、大学受験を経験しています。
当時、受験苦による自殺などのニュースが連日紙面を飾っていた時代でした(この頃からゆとり教育などの議論が始まり、結局学業苦が原因でないという判断がくだり制度そのものが無くなりましたね)。

私が当時感じていた違和感は今も消えません。
少なくとも私は、それにより人生が決まる等と思っていませんでした。
「おおきなお世話だ」と感じていた。

確かに何十人もの人間が受験戦争を苦にして死んでいったのかもしれない。
ただ、同じ年の人間が100万人もいてその30%程度は同じ苦しみを味わっている。
あそこまで「かわいそうだ」という話が盛り上がると、「それに耐えている人の方が沢山いるのだ」と逆に「馬鹿にするな」という思いを持ってしまうのも人間ではないでしょうか。

世の中には様々な人がいます。

もし私が同じように家族を殺されたら、犯人をこの手で殺したくなるかもしれない。
私だって聖人ではない。それは人間感情として、そうなるかもしれない。

ただ、こういった事変が起こるたびに「社会正義」を振りかざす人種にペンディングがついてしまう感情は消えない。

社会が悪い、時代が助長しているというのはあまりに短絡的で、他人事であり、自分が達観していると思っているナルシストの感覚ではないかと思います。

だからこそ精神異常で片づけずに、きちんと犯人の心理を確認し、動機を解明して欲しいと願います。

「社会は自分を認めてくれているのだろうか」

はっきり言いますが、社会などと言う存在のないモノに自分を認めて欲しいというのは甘ったれも良いところで、詰まるところ自分を認めてくれるのは家族であり、友人です。それ以外は基本的にどうでもいいと思っているでしょう。自分を知っている人間ですら、ほんのわずかな数のはず。

百歩譲って認めて貰うには、自分が社会にとけ込むしかない。

うーん、今年は通り魔だとか色々ショッキングな事件がありました。
閉塞感に伴い、歴史的にもファシズムの台頭やナショナリズムなどの加熱が起こることも歴史的事実であり、もしかしたら現代人類文明が内包するシステムなのかもしれません。

ここは一つ冷静に動機の解明を進めることで、個人の問題として対応し、その上で社会システムの見直しを図って欲しいと、切に願います。

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